「9月3日は倫理運動が始まった日であります」
今の倫理法人会までの40年間にわたる倫理活動の記念日であることを教えていただくところから本日のモーニングセミナーは始まりました。
夫婦昭和20年9月3日、丸山敏雄が日記の中に「夫婦道を起稿。この平和と世界文化建設の大任に入る」という形で文言を記しております。
日本が8月15日に敗戦を向え、打ちひしがれていく中で、このままではいけない、なんとか道徳というものの中でどうにかしなければならないという想いで丸山敏雄は倫理運動を立ち上げました。
その中でも一番の始まりは「夫婦」でした。やはり社会の最小単位は夫婦、家庭ですから、その道筋をしっかりと整えなければならない。当時はまだまだ封建社会が残っていた中でしたでしょうけれども夫婦というものはすべてフィティーフィフティーだろうという捕らえ方をしました、対等であると考えたのです。しかし役割が違うのです。男性は男性の役割を、女性は女性の役割をしっかりとまっとうしていく中で、夫婦合一があって、次に清々発展が生まれてくるのだという考え方をしたのです。
どんなに我々男達ががんばったところで子供は産めないですし、女性ががんばって力をつけたところで、やはり男性の力にはかなわないですよね。それぞれに必ず持ち味があります。そうしたものをしっかり出し合った中でのフィティーフィフティーの合一があって初めて次の段階へいけますよ、ということです。力をつかって無理やり同意させても、それは本当の合一ではないのです。
企業に置き換えますと、言い方は悪いかもしれませんが「労使の合一」と考えることも出来ると思います。やはりトップはトップの役割を、従業員は従業員の役割をしっかりまっとうすることによって労使の合一をはかり、お客様の喜びや社会への貢献というものが生まれてくるのだと思います。
そのようなことを捕らえまして、まずは夫婦というものをしっかりと立て直していこうと唱えました。
今年で63年目となりますが、丸山敏雄は実質6年しか倫理活動に携わることが出来ませんでした。
しかしながら会員企業さまや皆様のお力添えもあり、ここまでやってきてこれたことは、丸山敏雄の考えていたことを実践できているのではないかと思います。
初めてモーニングセミナーに参加していただいた方の中には、いきなり歌を歌ったり、変な冊子をみんなで輪読したりする様が奇異に映るかもしれません。しかしながら倫理というものは宗教でも思想でも学説でもなく、やってみることによってその確かさが実感できる生活法則だと捉えています。
一切信仰ではないんですね。また倫理法人会の決め事として、「政治的なことは持ち込まない」「組織だった商売には使わない」ということが決まりごととしてあります。こうした単会は全国に591箇所昨日現在であります。こうした集まりの中、顔をあわせてお互い高めあい切磋琢磨してがんばっていこうという想いを持ちながら倫理を勉強していただいております。新年度、てっぺんさんの会場に移って一回目ということで、しっかりと元を忘れずにがんばっていただければなと思います。
気づき 倫理では気づくことが成功の秘訣であると教えています。気づきというものは考えてみると不思議なものです。本日集まっていただいている人にもそれぞれプライベートが別々であるように、気がつくことも別々です。その人の都合の良いときにそれに気がつくんだと捉えています。その中で一日の一番始まりの気づきとは何か分かりますでしょうか?
「目覚め」なんです。目が覚めるという気づきも、やはりともすれば2度寝、3度寝をしてしまう人もいるかと思いますが、今起きるとちょうど良いことを大自然によって教えられている。目が覚めたらさっと起きるということを倫理では謳っています。早起きは大変良いことでありますが、時間的なものよりも目が覚めたときがちょうどいい時なんだと言う捉え方をしています。
美学 ダンディズムとかニヒリズムといった男の美学といった話ではありません。
考えてみればこの世の中は色々な「決め事」によってちりばめられていることに象徴されているのではなかろうかな、と思います。
世の中の一番最低限の決まりごとと言ってもいいと思いますが、決まりごとがピラミッドのようになっているとすれば、一番下の土台の部分になっているものが法律や条例といったものではなかろうかと思います。
日本は法治国家ですから明文化された決め事があります。企業においてもコンプライアンスといわれて久しくなりますが、法令順守がことさら言われるようになっております。こうした決め事が最低限まもっていこうというものであります。罰則をともなう法律というものはあくまで抑止力として、こういったことはしてはいけないことだと定めているものです。また、自治体によっては法律とは別に条例というものがあります。
最近では歩きタバコ禁止の条例が日本全国に広がっております。
本来ピラミッドの上側、法律や条令の上に来るべきマナーやエチケット、モラルというものが厳罰をともなう法律などに置き換わってきているというのが現状の世の中ではないでしょうか。最近では「マナーからルールへ」といわれておりますが、本来は誰もが当たり前に思わなければいけないことであります。本来マナー、モラルではずのことを法律で縛らなければならない世の中になりつつあるということでしょう。さらに法律という物に関しても、厳罰化、重罰化、厳しい方向に徐々になりつつあります。特に顕著なものとして、福岡県の飲酒運転の事故があった結果、飲酒運転は非常に厳罰化されております。今では飲酒運転している者だけではなく、同乗者、飲酒運転を容認したとされて罰せられるようになっております。
これが、今まで法律で縛られていたものが、今では当たり前のことだよ、マナーやエチケットで十分だよ。というようになれば、世の中は徐々にではありますが良い方向に行っているのでは無いかと思うわけですが、その逆方向に進んでしまっているのが事実ではなかろうかなと思います。
さらには、法律さえ守っていればいいんだと言うような考え方になってしまいますと、ますます良くない方向にいってしまうのではないか、よく考えなければいけないなと思います。
そんな中で、ピラミッドの頂点に位置するのが、自分の持っている「美意識」や「美学」といわれるものでは無いかと思います。誰にいさめられることも無く、罰せられることも無いけれども、これをやらないからといって誰かに不快な印象を与えるといったことも無い。自分自身が請け負って、誰の目があろうが無かろうが自分の中で行っていくことです。自分自身を欺くことはできませんから、自分自身が行っている行為は自分自身が一番良く分かっている、そんな中でコツコツコツコツと行っていくことが美学といわれるものではないかと思います。
これは誰かに見せようと思ってやることではありません。自分自身が請け負ってやることですから、誰も見ていなくてもやります。自分自身を磨くために、自分自身が行っていくことです。
美学とは? 1916年来日されたアメリカ人曲芸飛行士のアート=スミスという男性が日記に日本のことをしたためております。4ヶ月間かけて56回の講演を行っています。来日して一番最初に青山で講演を行ったさいのことをこのように記載しております。
「東京、青山で最初の飛行を行った翌日、私の元に一円紙幣を封入せる一通の書面を受け取った。書面のおもむきは、発信人は自分の家の屋根で私の飛行を見物した、しかし相当の入場料を払わずに見物することは本当ではない。という想いからであった。そののち尚いくつか同様の書面を受け取った」とかかれております。入場料を払わずにアート=スミスの飛行をみて、わざわざ宿泊しているホテルを探し出しお手紙とお金を送って来たといっているのですね。その方々は一様に他の見物人は入場料を払って見物しているのに自分はたまたま屋根の上から見ることができた、これは本当ではないなという思いからお金を払って寄こした人がいたということです。
今の世の中では、高層ビルが立ち並んでいることもあって、競技場の中などを上からのぞいて「お金を払わずに見ることができたよ」などと自慢げに語られる方も無きにしも非ずといった風潮ではなかろうかと思います。しかし過去先人らがこのような方々がいらっしゃったことは事実であり、立派な方々がいらっしゃったなと、継承していくことは大事なことではないかとつくづく思います。
「母国アメリカにおいて、数百万の人々は相当の見物料を払わずに私の飛行を見物した。すなわち飛行場以外のところから私の飛行を見物した。しかし今まで一人として、場外から見物したからと言うて入場料を払うと申し出られた方はおられなかった。私はお金を封入せる書面を受け取って、一方ならず吃愕した。そしてこの正直な人々の意思を尊敬するとともに、意外の感に打たれざるおえなかった」
アート=スミスはアメリカで数百回の飛行を行っていたけれども、場外で見物したからといって、お金を払いますよ、という人は誰一人としていなかった。日本に来てはじめてのことだったそうです。
そして以外の感と言っていますが、何が意外だったかというと、当時の日本人は非常に慎ましやかな生活をしており、日本に降り立ったときに果たして自分の講演が成功するのかという疑問を抱いたそうです。しかし実際には飛行場へ見物に来てくれる方もたくさんおられたし、屋根の上から見ましたよ、すばらしかったですとお金を払う方までいらっしゃったことが意外だったのです。
アート=スミスはこうして送られたお金を全ての方にお返ししています。私自身も大空を自由に飛ぶ鳥のように、大空にあこがれて飛行士になった、同じように大空を見上げて心を豊かにしようと思った方の目の端に私の飛行が入ったからといってお金を払う必要はありません。同じ大空を愛するものとして誇りに思います。とお手紙をつけてお金を返して行ったそうです。アート=スミスもすばらしい人格者であったと思います。
このようなことは誰にもとがめられることでは無いと思います。あの人お金を払わずに講演を見たからといって払わなきゃいけないと言われるようなことはありません。しかし、自分の中で本当ではないと判断していたのです。こういったところが美学や、美意識になるのではないかと思います。
あるお弁当屋さんの話ですが、ひとつ習慣として、靴を脱いだら手を添えてそろえよう。と決めた方がいらっしゃいました。家族の靴が乱れていたらいつもは一言文句を言うけれども、黙ってそろえておこう。そう決めて毎日お酒でべろべろに酔っ払ってもきちんと靴をそろえるようにしたそうです。
ある程度習慣化してきたら、今度は外でもやろうと決めて毎日コツコツコツコツとやっていたそうです。
あるとき大口のお客様であるお寺の住職と話しているときに「なぜ、お宅にお願いするようになったかわかりますか?」と問われたことがあるそうです。新商品ができたら見本品を持参したりと彼は必死に営業をかけていました。その結果ではないかと思ったそうです。
しかし住職いわく、営業で来ている時に、家族連れでお墓参りにきた方がいらっしゃって、住職が本殿に案内をすることになったことがありました。家族連れが靴を脱いで本殿に上がったさいに、彼はいつものこととしてその家族の靴をそろえてあげたのです。その姿を見た住職が、自分の損得無しにそのようなことが出来る人の会社であれば間違いないと思ってお願いするようになった。ということです。
今は言わなくなってしまったのかもしれませんが、「お天道様は見ているよ、お天道様に顔向けできないようなことはしちゃいけないよ」と昔はよく言われたものです。こうしたことを自分を律してコツコツコツコツやっていくことによって、何かしら良いことを運んできてくれるのではないでしょうか。
さりげない気遣いが出来る粋な人間が昔は多かったように思います。そんなかっこいい粋な人間になれるように努力していきたいと思います
渋谷区倫理法人会 喜田