
「この場にお招きいただきまして大変光栄に思っております。
2年2ヶ月拘留されていましたが、新聞記者の性格上毎日朝から晩まで自分なりに取材をしていましたので、与えられた時間の40分間ではとてもしゃべりきれません」
大変な苦労を感じさせる言葉で今回のセミナーは始まりました。
なぜ北朝鮮に興味があるのか私は大学2年の時に60年安保だったのですが、社会主義国になるのは歴史的必然であると論客達が言っていたことに、一経済学徒として疑問をもっておりました。
社会主義国というのは超大きな政府機関によって統制され、個人個人の自由や創造性が束縛され、奪われるに違いないと恐れをもっていました。
そういう意識を持ちながら日本経済新聞に入りましたが、東京駅前の経団連で取材していると、なぜか社会主義国の経済発展が遅れているな?と疑問に思い、何時になったら日本は社会主義国になるのかな?と思ったので管轄外ではありましたが、いろいろな社会主義国を取材いたしました。
その中でも北朝鮮という国がウルトラ社会人国でありながら一度も行ったことが無い。しかし招待状がないと入れないので、こちらの社会党系の友好的な団体と一緒に行かなければなりません。そこでアジア平和の船という団体に参加して行きました。
2回目の訪朝のときに、ちょうど使っていた隣の部屋によど号事件の連中がいたことに気づかず、ジャーナリストの端くれとして非常に悔しい思いをしましたので、次の訪朝の時は絶対に会いに行こうと決めていました。あったときにお土産として10万円をお渡しました。北朝鮮は一家が一月暮らすのに1万円あれば生活できますので、あちらでは結構な金額になります。私は彼らの考え方がどういうものであるのかというのを知りたいということがジャーナリストとしてありましたので彼らの日本側の受け皿になっている団体との付き合いもありました。
しかし決して私は左翼ではありません。逆に冒頭でも述べましたように社会主義国になったら大変だという意識がありましたので。
拘留のきっかけよど号事件の帰国子女問題に手を貸して欲しいと、連絡があったのが日経を定年退職して半年後のことでした。日経の後ろ盾が無いから危ないなと周りからは言われましたが、まさかそんなことはと思っていました。4回までは大きな団体と一緒に行ったのですが、5回目はよど号事件の宿舎に止まりましたのでそうではありませんでした。
つかまったときに平壌ホテルで一人だけ拘留されたのですが、他の連中はそのまま帰りました。
ともかくつかまった瞬間は私は生きて帰れないだろうと覚悟しました。
つかまってから6箇所転々としましたが、そのなかでどういう生活をしていたかと言うと、酷いものでした。
向こうでつかまった時に記者会見させられましたが、「何不自由なく生活させていただいて、非常に幸福でした」と言わされたのですが、何不自由なくっていっても、2年2ヶ月でお風呂に入れてもらえたのはたった6回しかありませんでした。原油がなく、エネルギー系が乏しいのでお風呂も簡単ではないんですね。
食事も3度はいただいていましたが、だんだん粗末なものになって行きました。日本国政府が身代金交渉か何かにすぐに応じて早く返えせると思っていたんでしょうけれども、日本国政府は国民がそういう危機に陥ったときには頼りにならない政府でしてた。
つい先日おやめになられた福田さんは、私が交流されていたときには官房長官だったんですね。その時にいろいろと折衝してくださったんでしょうけども私か見るとまったくそういうことは見られなかったんです。
私が習っている護身術の関係でインドネシアに行った時に首相になる前の福田夫妻がお見えになっていまして、その福田さんが「ああ、君かね。北朝鮮のお荷物になっていたそうだね、いらないよと言っていたよ。まぁ、今となってはいい経験をしたとおもわなくっちゃね」とふふふと笑いながら方をぽんぽんと叩いてきたんですよ。励ましているつもりなんでしょうけどもこちらとしては日本に迷惑をかけてはいけないとつかまった初日に洗面台にベルトを巻いて死のうとまでしたのに。まぁ、あそこのホテルは作りが悪くて洗面台もろとも崩れてしまって死に損ねたおかげで今ここにいるんですがね。
そもそも捕まった理由は内閣情報調査室や公安調査庁に呼ばれ、「北朝鮮の情報が少ないので話をして欲しい。やはりジャーナリストだからあなたの話は他の一般の方々よりも面白いので、行ったときには色々話して欲しい」と記者魂と愛国心をくすぐられて色々としゃべっていました。スパイ契約というものはありませんから、そういったつもりもぜんぜんありませんでした。内閣情報調査室や公安調査庁が救ってくれると思っていたのですが、しかし信じられない話ですが内閣情報調査室や公安調査庁には北朝鮮とつながりがあって2重スパイをしている奴がいまして全部筒抜けだったんです。
捕まった時に色々と自白させられるんですが、そもそも私はスパイの自覚がありませんから何をどうしても駄目だったんですね。つかまった人は調書をスパイ仕立てで書かないと認めてくれないんですね。私が5回訪朝したさいの内容の全てと内閣情報調査室や公安調査庁に話したことを全部白状しろといってくるんです。1回目の訪朝時のことなんて覚えてないですよ。昨日の夕飯のおかずだってあやしいのに。それでも最初の頃は一日本人として誇り高く死のうと、それまでは一ジャーナリストとして何か残せるように、周りの人の一挙手一投足に気を配り、情報を整理して、下手な短歌にキーワードを残して隠したんです。どこに隠したかは工作員がいたら殺されてしまうので言いませんが。
ともあれ、全部筒抜けだったので嘘をつくとすぐばれるんですね「違うだろ、これこれこうだろ」と向こうの人が訂正することが全部あってるんですよ。これは何を言っても駄目だと思って、スパイだということにしてチャンスを待った方がいいと思い供述を変えました。日本は情報については丸裸も同然だとか内閣情報調査室もちょっとだけガードが固い程度だと向こうの偉い人はいっていました。私が拘留されている事をいいことに家の方もいろいろ荒らされたようですけども、周りが敵ばかりで資源も少ない国でいつ殺されるか分からないような中みんな必死に生きてますから、ノウノウと暮らしている日本人が太刀打ちできないのも分かります。
ちょっと面白い話北朝鮮の人が上から下までボロクソに言う人物が3人います。
一人目はゴルバチョフです。彼が西洋かぶれしてマーガレット=サッチャーと仲良くしていたために社会主義体制が崩れ我が国がピンチに落ちいったと言っています。もともと原油を旧ソ連からバータ取引で得ていたのですが、通貨取引に変わったとたん外貨を用意していなかった北朝鮮は苦しくなってしまったのです。
二人目はキム=ヨンサムです。我が国の主席が亡くなった時に北朝鮮が南進政策をするといいソウルに厳戒令をしいた。本来であれば哀悼の意をささげるべきである。とんでもない奴だといっています。
最後の一人は石原慎太郎です。北朝鮮がテポドンやノドンを日本に向けて発射しようと気配を見せたときには先制攻撃をやれとか、中国の国力を分散させるために周辺地域の民族をきっちり独立させろとか言ってるからです。中国は最大の友好国で、生きるも死ぬも中国にかかっていると言ってもいいくらい中国が無くては困るんですね。
北朝鮮の運命を握っているのは米国ではなく中国だとしみじみ思いました。
北朝鮮が米国を恐れるのは核爆弾を落とすぞ!と本気で脅してきたときだけで、実際の運命を決めるのは中国です。拘留生活の中で最初は生活用品や食事など、日本製が多かったのですが、だんだん中国製品に変わってきて、しかも消費期限が2年とか3年とか過ぎてるようなものばかりでした。中国が生産過剰品を緩衝地帯として北朝鮮に安く売ったりしているんですね。だからこそ中国が米国と本気で戦うときに代理戦争として色々あると思って注意しておかなければならないと思います。
最後に、私自身はどんなピンチでも楽しむ、むしろ前向きに。という気持ちでいます。、いやだいやだと思っていたら神経おかしくなってしまいます。恐れるという部品がかけた人間じゃないのかと言われたこともありますが、どんなピンチでも前向きに捕らえればチャンスがあると思っています。
北朝鮮の写真を見せていただきましたが、酷い生活を見せないようにしている努力が見て取れました。今の日本がいろいろと頼りにならないということを力説されました。
目に見えることだけに惑わされないようにしっかり地に足をつけていたいものです。
渋谷区倫理法人会 喜田